<6月の雑感> 母校についての意味
高校総体が終わり、バレーボールのコーチをしている私は母校とスポーツについて書こうと思っていた。その矢先、あの秋葉原無差別殺傷事件が起こった。
実に悲しい事件である。逮捕されたあの事件の容疑者と、被害者の「年齢」を思うと、尚更ショックが大きい。
社会に出ると世の中の様々な問題に悩まされ、一人で解決することの難しさを痛感する。この様な瞬間にどう行動するかは、その人が持つ魂や、受けてきた教育の質に大きく左右されるのではと思う。ここで言う、教育の質とは「魂の成長の糧と成りえたか」で論じられるときの「教育」の一要素でしかないが・・・。高等教育の場である高校は高等な学力とともに、「人間とは・・」という哲学を知らず知らずのうちに学んでいるはずである。本県の高校が容疑者の母校だとマスコミに取りざたされ、いかにも高校時代からの成育環境に原因を見出せるかのように報道されているが、事件の容疑者に本当の母校はあったのだろうか。先生でも校舎でもなく、学生時代の駆け抜けるような三年間とあの空間そのものが私の思う母校の正体だ。そこからは確実に優しさや悲しさ、つらさ・・・悲喜交々とした人間の生き方を感じ、学んだはずである。彼はそれを全く見失っていたのかもしれない。今一度、私たちは母校のありがたさを子供たちに教える必要があるのではないか。
スポーツにはレギュラーを目指す戦いがあり、勝ち残ったものが試合に出てまた勝負する。レギュラーになったものだけが、そして試合に勝利したものだけが主人公ではない。補欠もサポーターもそれぞれの人生の主人公だ。
悩んでいた、悲しんでいた、喜んでいた人生の主人公である自分に返してくれるはずの母校であって欲しい。そしてその母校は誰しもが持っているものだということを忘れないでほしいと思う。
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- 2008年6月18日:「6月の雑感」を更新しました。
- 2008年5月13日:「プロフィール」を更新しました。
- 2008年4月4日:「挨拶」「プロフィール」を更新しました。
- 2007年3月4日:リニューアルしました。
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